ここでは、子どもの教育において重要なポイントをみなさんに公開したいと思います。
さて、ここでみなさんに考えてほしいテーマがあります。
それは、「勉強する時、私たちは知識を身につけますが、その知識はどうやって身につけるのでしょうか?」というテーマです。
このことについて理解するために、ちょっと赤ちゃんのことを考えてみましょう。
赤ちゃんは、生まれながらにして、すでに知識を身につけて生まれてくるということはありませんね。
もし、生まれながらにして、知識を身につけているのであれば、勉強などする必要はありません。
このように考えると、赤ちゃんは、知識的に「空っぽ=0(ゼロ)」の状態で生まれてくることになります。
ということは、知識は私たちの「内」にあるのではなく、「外」にあり、それを学ぶために勉強が必要だということになります。
「外」にある知識を、「空っぽ=0(ゼロ)」の状態で生まれてきた子どもの「内」に注入するために、教育が必要なのです。
このように考えた結果、「外」にある知識を、子どもの「内」に教え込みを通して、教育しなければならないという発想が生まれてきました。
これが、古くからある「教育=教え込み」という考え方のベースになっている考えです。
しかし、このことは、本当に正しいことなのでしょうか?
当算数クラブでは、このような考え方をしておりません。
当算数クラブの教育観は、従来の教育観とは、全く違います。
でき太くんの算数クラブは、次のような教育観を持っています。
まず、知識は私たちの「外」にあり、それを学ぶために学習が必要だということは確かですね。
この点については、全く異議はありません。
しかし、当クラブでは、『子どもが「知識=空っぽ(ゼロ)」の状態で生まれてくる』とは考えません。
『子どもは、自分の「内」に“法則性”を理解する能力をすでに身につけて生まれてくる』と、当算数クラブでは考えています。
子どもは、具体的な知識は持っておりませんが、自分の「内」に法則性を理解する能力を内在させています。
これは、当算数クラブの長い教育実践の中で分かったことです。
世界にはたくさんの国の言葉がありますね。
日本語、英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、中国語、韓国語など数え上げればきりがありません。
これらの言葉には、それぞれの“法則性”ともいうべき「文法」があります。
日本語には、日本語の“法則性”があって、それに基づいて日本語のコミュニケーションが成立しています。
ここで、赤ちゃんがどのようにして言葉を覚えたのかを考えてみましょう。
あなたは、赤ちゃんに日本語を教える時に、日本語の文法を教えましたか?
教えませんでしたね。
赤ちゃんは、文法を教わらなくても、自然に日本語をしゃべれるようになったはずです。
赤ちゃんは、日本語の“法則性”を理解する能力をすでに持って生まれてきていますから、わざわざ教えてもらわなくてもいいのです。
赤ちゃんに教えてあげなくてはいけないのは、「外」にある世界についての知識です。
「あっ!ここに、ワンワンがいるね! あっ!あそこには、ニャーニャーがいるよ!みんなかわいいね!」
このように、「外」の世界には、いろいろな動物がいて、犬や猫という名前がついているということを教えてあげればよいのです。日本語の“法則性”を文法的に教える必要はないのです。
もちろん、英語やドイツ語、フランス語にも、その言語の独自の“法則性”という文法があります。
人間の赤ちゃんは、生まれながらにして、言葉の“法則性”を身につける力を持っています。
そのため、人から教わることもなく、自然に言葉を習得していくことができます。
つまり、人間の赤ちゃんの「内」には、すでに言語に対する“法則性”を理解する能力が宿っており、その“法則性”が分かるからこそ、言葉を習得していくことができるのです。
ここでみなさんに知っておいて頂きたいことは、私たちの「内」には、“法則性”を理解する能力が、すでに内在しているということです。
“法則性”を理解する能力は、すでに私たちの中に内在しているのですから、わざわざ教育によって「外」から教える必要はありませんね。
ここが従来の教育と当算数クラブの教育の大きな違いです。
さて、“法則性”を理解する能力がどのようなものであるかについては、分かって頂けたと思います。
“法則性”を理解する能力とは、言語でいえば文法を理解する力のことです。
同じように、算数や数学にも“法則性”があります。
次の章では、具体的に算数・数学の“法則性”について考えてみましょう。